・スタトレでかるた堂店主と大激論!2006/10/07 12:00

 スタトレといえば当然STAR TREKのこと。酢こんぶ世代ではTVシリーズの「宇宙大作戦」と言ったほうがしっくりくる人気シリーズだ。店主と酢こんぶはともにスタトレファンで、二人とも最初のTVシリーズのDVD BOXを持っている。ただ二人が少し違うのは、店主はその後の世代交代したシリーズも見ているが、酢こんぶは最初のシリーズの登場人物主体の映画までは見ているものの、それ以外は見ていない。というわけで、トレッキーという呼び名は店主の方によりふさわしいものといえるだろう。
 さて、あるとき、最初のTVシリーズでどの話が一番好きかという話になった。酢こんぶはなんといっても
「危険な過去への旅」。過去に行くという点で時間旅行物大好きの酢こんぶのツボを突いているのと、歴史を変えないために愛する人を見殺しにしなければならないという悲劇がポイントの高いところだ。
 対して店主が挙げたのは「カヌーソノナの魔力」だった。
 他惑星の対立する二つの部族の一方にクリンゴンが銃を与えたためにパワーバランスが狂い、もう一方の部族(こちらにカークの知り合いがいる)が殲滅されそうになったため、カークが他文明不干渉の原則を破って、そちらにも銃を与える、という話。
 店主からこれがBESTといわれたとき、正直言って酢こんぶはどんな話なのか思い出せないくらいノーマークの話だった。実際にDVDで見直してみても、特によくできた話とは思えない。

 で、10/7に店主と打ち合わせをする必要があってマクドナルドで話をした後、軽く飯を食おうということになって魚民に入った。ここで、

「カヌーソノナの魔力」がベストだなんて変だ!

という話をしたわけだ。(^_^;

 店主は「不干渉の原則」を破らざるを得なかったカークの苦悩が、、、とか言っていたが、カークの苦悩に関しては「危険な過去への旅」だって同じだし、酢こんぶとしては話がよくできているようにも思えない。最初はあまり意識していなかったのだが、周りに迷惑なほどの大声で議論を続けた(^_^;結果、酢こんぶがどこに一番引っかかっていたのかが明確になった。それは、カークがあまりにもあっさりと「不干渉の原則」を破ることだったのだ。

 そもそも「不干渉の原則」が何故あるのかというと、文明が進んでいる惑星の住人が自分たちより遅れている惑星の文明に対し、善意であれ悪意であれその進化を自分の都合のいいように捻じ曲げる権利などない、という考えに基づいていると思われる。投じたのは一石であったとしても、影響はその惑星全体の未来に及ぶ可能性があるのだ。

 それをカークは、自分が懇意にしている部族が殲滅されようとしていることが許せないという、自らの感情のみに従った理由で破ってしまう。店主はともかく、少なくとも酢こんぶにはそう見える。そんなことが許されるのだろうか?カークはこの件で当然軍法会議にかけられ、降格となって然るべきと思えるのに、そんな気配もなく調査飛行を継続している。その点で酢こんぶはこの話を評価できない。

 「危険な過去への旅」では自らの感情を押し殺して歴史が改変されるのを防いだカークは、「カヌーソノナの魔力」では逆に感情のみで他惑星の進化を捻じ曲げるという選択を行う。とても同じ人物とは思えないが、どちらのカークが航宙艦の艦長として適格かは明らかだと思う。

 ということで「カヌーソノナの魔力」は酢こんぶとしては不出来な話という評価でしかないのだが、店主との議論では延々平行線だった。その理由も4時間近くの議論の後にやっと明らかになったのだが、店主は「不干渉の原則」に関して、酢こんぶほどの重要性を感じていなかったのだ。

 なるほど、それは平行線になるに決まっている。それを絶対に守るべきと考えている酢こんぶと、守った方がいいんじゃないのーくらいに考えている店主とが、それを守らなかったことを中心に据えて議論してるんだもんねえ。

 と、ここで酢こんぶはあることに気がついた。これは以前に話題にした「なぜ人を殺してはいけないか」という議論に似ている。「絶対に人を殺してはいけない」と考えている大学の先輩たちと、「そうとは限らない」と考えている酢こんぶとの図式に類似しているのではないだろうか?あの時は「人を殺してはいけない」というのは公理に近い原則であり、根拠など示す必要もなく自明という立場が相手で、根拠が示せないなら最初から考え直そうよという立場が酢こんぶ。今回は逆で「不干渉の原則」は公理に近い原則だというのが酢こんぶの立場。
 まあ、今回の議論で酢こんぶは「不干渉の原則」について根拠を示さなかったわけではないが、守るべきものというのはほとんど自明という態度をとっていた。これじゃあ議論しようともしなかった大学の先輩たちと同じじゃん。ちょっと反省。

 てなわけで40とっくに過ぎてても、まだまだいろんな事に気付いたり勉強したりすることがあるなあとつくづく感じた一夜であった。

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・いろんなことを思いついたまま書いてみた。(^_^;2006/10/23 17:00

中島みゆきの「命の別名」に、知らない言葉を覚えるたびに大人に近づくけど、最後まで覚えられない言葉もあるだろうねって歌詞がありますが、自分が知らないで死んでいく日本語ってどれくらいあるんだろうってふと考えました。

結局人間は世の中の大半のことを覚えられずに死んでいくんでしょうね。そして次に生まれた人は前の人の知識を出発点とできないでまた最初から覚え始める。そして口伝や書物で過去の知識を身に付け、一部の人はその上に少しだけ知識を付け加える。そうして人類全体の知識量が徐々に増加してゆく。

こんな非効率的なシステムで、人類はよくここまで科学技術を発達させてきたなと感心してしまいます。

もし知識が受け継がれるシステムだったとしたらもっと速く科学技術は発達したんでしょうか?

なんかそうでもない気もしますね。

生まれたときから老成した、じいさんみたいな考え方しかできない子供が増えて、人類という種が急速に衰退していくような、、、。

そうでないとすると、急速に発達しすぎた科学技術はほどなくピークを迎え、衰退を始める、、、。

どっちみち衰退かよ! > 俺

うーん、我ながらそっち方面に考えが向くことが多いですね。(^_^;

こないだ(10/7)店主と議論していたときに、店主に何度か「君はトレッキーではない」と言われましたが、その意味がよくわかりませんでした。

今考え直してみると、店主は「楽観論者」酢こんぶは「悲観論者」ということなのかなと思いました。

よく知らないけど、スタトレの世界はいろいろな事件が起こりはするが、世の中は右肩上がりに良くなっていく。そしてそれが永遠に続くことを誰も疑っていない(登場人物も視聴者も)。

ってことなのかなあ。

物事には終わりがあるからこそ、終わるまでの過程にも意味がある。不老不死になった人間に生きがいなどあろうはずがないように、終わりのない物語は内容に意味があるのではなくそれが続いているということのみに意味がある。

ピノキオは人間になって本当に幸せだったのだろうか、、、、、、(笑)

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